#36 何だっけ [バガボンド]
「何だっけ兄者……」
by,吉岡伝七郎
兄弟というのは、兄がしっかり者、弟が甘えん坊、それが普通である。
吉岡清十郎は兄として、あまりしっかり者ではない。
女遊びが激しく、道場のことは弟の伝七郎に任せっきりである。
宮本武蔵と清十郎が闘うことになる。
清十郎の奇襲であった。
それでも武蔵は清十郎の闘いを受け入れる。
武蔵の実力は、あきらかに伝七郎よりも上であり、それを感じた清十郎は武蔵を殺すつもりで闘っていた。
しかし、清十郎は敗れる。
「そうか……若……あなたは伝七郎さんが武蔵と闘えば勝てないと思って……その前にも知られるずに武蔵を葬り去ろうとなされたのか。初めて見た。若の御遺体に刻まれた、いくつもの古い刀傷。あなたはひょっとして何度も……そうやって伝を守ってこられたのではありますまいか」
(植田良平)
植田は、吉岡道場のもとへ届けられた清十郎の遺体を見て、涙を流した。
武蔵と清十郎が闘っていた夜。
伝七郎は道場で兄を待っていた。武蔵との決戦を前に、兄に稽古をつけてもらおうと考えていた。
清十郎の遺体が届けられた朝。
伝七郎は、夜通し道場で待っていた。
すると「伝七郎先生!」と呼ぶ声。余一という吉岡道場の生徒である。
「おう余一。兄者が帰ってきたら首に縄をつけてでも道場へひっぱってきておいてくれ。稽古をする!いいか、逃がすなよ。俺は少し寝る」
(伝七郎)
「伝七郎先生!!若先生が…若先生が…」
(余一)
伝七郎は、肩から横腹まで、斜めに斬られた兄の姿を見て「分からぬ。兄者が斬られるなんて……嘘だろう?」と、信じられない様子。
それでも稽古を続ける。
「体が大きいからといって……力に頼ろうとするな。柄をそんなに握りしめるな。それから何だ……何だっけ兄者……」
by,吉岡伝七郎
結局は、兄のほうがしっかり者だったのかもしれない。
弟は兄を慕い、兄は弟を守ろうとした。
それがわかったのは、兄が亡くなってしまってからである。
タカセ
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